異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

中国上海市在住です。もう10年を超えました。休日は星空(天の川)撮影やポートレート撮影等、連休時はカメラを持って中国各地を旅行してます。最近は内モンゴル自治区によく行っています。

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中国明時代の時代劇「女医·明妃傳」 29話 土木の変


女医·明妃传の放送は东方卫视でやっています。
乐视网(http://letv.com),腾讯视频(http://v.qq.com/)で見ることができます。
今回の物語は土木の変(土木堡の変)と言われているそうです。
皇帝が瓦剌(オイラート)に捕まってしまう事件です。
土木堡(河北省張家口市)と言う場所で起こったからそういう名前が付いているようです。
張家口は内モンゴルとの境の市ですね。

29話 皇帝敗れる

皇帝はちょっと遊ぶだけだと言い、反対を振り切って伯颜帖木儿(バヤン・ティムール)と単騎で戦います。

そして伯颜帖木儿(バヤン・ティムール)を打ち負かします。
このことがあり明軍の士気は上がりました。
王振もおべっかを使います。皇帝は無敵の戦神になったような気持ちでしょう。
允贤と樊忠はこの日の戦いに疑問を抱いていました。
二人はなぜ伯颜帖木儿(バヤン・ティムール)がすぐに引き上げたか理由が分からないようです。
二日目大同でも皇帝は大勝します。明軍はわき上がります。
これは全て也先(エセン)の陰謀でした。
瓦剌(オイラート)の惨敗は見せかけです。瓦剌(オイラート)の目標は北京です。
允贤と樊忠は皇帝に瓦剌(オイラート)は負けていないと話します。
このとき勝利におぼれる皇帝は忠告を聞きません。さらに王振をそれをあおります。
突然陣営から火の手が上がります。
兵糧が燃やされていきます。皇帝は大声で叫び火を消すように命じます。
皇帝は瓦剌(オイラート)が残した掛け軸を見ます。その中には皇帝を無能だと中傷する内容が書かれていました。


ショックを受け、怒りに満ちた皇帝は人の意見を聞かず、皇帝は瓦剌(オイラート)を追撃すると言います。
走る兵士たちは皇帝に追い付けず、皇帝は一人で敵を追いかけます。
皇帝は瓦剌(オイラート)の罠にかかります。也先(エセン)がやってきて皇帝を倒します。
そして明の皇帝は本当に無能だとからかい、帰っていきます。
このとき明軍は疲労し、兵糧も少なくなっています。


そして最もやらなければいけないのは大同、宣府の主旨です。
瓦剌(オイラート)を京城に入れない為の必須の道です。
しかし、私益のため、王振は皇帝に蔚州に向かおうと話をし出します。
どうやら蔚州は王振の故郷のようです。
戦略を知らない皇帝は王振を信じて蔚州に向かうことにします。
しかし策は看破され蔚州は既に囲まれているようです。
王振はそのことを隠し、宣府に向かおうと話しだします。
瓦剌(オイラート)の奇襲は続きます。明軍は日に日に弱っていくようです。
この明軍のことを知りつくしたような作戦、これは全て程十三が瓦剌(オイラート)に提案したものでした。
兵士たちを治療するために薬がどんどんなくなっていきます。
允贤が薬を開けると、中には砂が入っていました。允贤は他の医者にも聞きます。
全ての薬が砂です。。。。
皇帝は王振にこのことを咎めます。あの時買った薬です。
王振の手下はすぐに証拠を提示し王振の行為は公けの前でさらされることになります。
しかし罰を与えるその時、瓦剌(オイラート)が攻めてきます。
今回の襲撃は皇帝自身天は本当に自分を亡き者にしようとしていると感じます。


敵に囲まれる皇帝、王振は逃げようと言います。
樊忠は王振を殴り殺します、そして皇帝を守るために戦います。
皇帝の頭の中は責任と絶望でいっぱいです。樊忠が力尽きる所が見えます。
幻想の中にいるようです。
皇帝はここで自害しようとし、刀を自分の首に当てます。


その時、允贤が皇帝をビンタして呼び起こします。
20万の軍隊は敵の手で滅びました。也先(エセン)の呼びかけにこたえる皇帝、
がむしゃらに也先(エセン)を追いかけます。
允贤と李将軍は皇帝を止めようとし、馬で追いかけますが聞きません。
伏兵が次々と現れ皇帝はまた囲まれてしまいます。
允贤と李将軍は既に捕まっています。
皇帝は也先(エセン)と一対一で戦います。しかし力尽きて敗れてしまいます。
也先(エセン)に自分を殺せという皇帝。
勝負は決しました。


感想

明軍は無能というかチャンと監視していなかったのでしょうかね。
最悪、大同を死守しておけばよかったものを、何の作戦もなかったのでしょうか。。。
大同-宣府-土木は外長城(万里の長城)の内側です。ここを抜かれても北京には内長城があります。
最終防衛の居庸関までもどるとか。。プライドが許さなかったのでしょうかね。
大同、太原は今の山西省ですが、北京から見ると北西になります。
大同の城壁などは、まっ平らなので、伏兵が来ても分かってしまう気もしますが。。。
しかもこの壁、堀もあり相当だと思うのですが。敵兵はどうやってなかにはいったのでしょうね。