異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

中国上海市在住です。もう10年を超えました。休日は星空(天の川)撮影やポートレート撮影等、連休時はカメラを持って中国各地を旅行してます。最近は内モンゴル自治区によく行っています。

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武神趙子龍 三国志の英雄趙雲のドラマ(42)赤壁の戦い


三国時代のドラマ、武神赵子龙。
私は爱奇艺(http://www.iqiyi.com/)で見てみることにします。
趙雲子龍が主役のドラマです。
ここ何話かは主役が諸葛亮になってますね。。。
その有名な赤壁の戦いも戦いのほうはあっさり終わってしまいます。


42話

建安十三年、西暦208年冬、東呉の大都督周瑜は副将黄盖を先方として火計をしかけます。
苦肉計で黄盖を投降させたと見せかけ、曹操は罠にはまりました。
黄盖は投降すると言い数十席の船に油と枯れ葉を入れて火を放ちます。
曹軍の船は燃え火の勢いは岸の上にも到達します。
孫権、劉備連合の5万の軍が追撃に出て、曹操は20万の大軍を失う大敗を喫します。
これが有名な「赤壁之战」です。


諸葛亮は周瑜の考えをとっくに見抜いており桂阳の任務を終えた赵子龙が迎えに来ていました。
諸葛亮がとっくに逃げていたことを知り周瑜は腹立たしく思います。
赵子龙は兵を率いて南郡に入ります。そして太守をおどして兵を引くように伝え、さらに兵符を出すように話します。
さらに柳慎は使いを荆襄に行かせ南郡は掌握したことを伝えます。
周瑜は諸葛亮が先に南郡を制圧したので、怒って血を吐いてしまいます。
魯粛は南郡には赵子龙がいるので奪い返すのは簡単ではないと話します。


周瑜に先に荆州と襄阳を取るように勧めます。
しかし知らせが来ます。荆州と襄阳は关羽と张飞に奪われたと。。。。
周瑜は劉備の兵力でなぜ荆州と襄阳を占領できたかと信じられません。
軍師は劉備は南郡全てを兵を一人も使わずにGETすると言います。
魯粛はその話を聞いて全ては諸葛亮の計画だと見抜きます。
周瑜は悔しがります。奥歯を噛んで諸葛亮と道はは「势不两立」両立できないと言います。


桂阳太守の赵范は自ら刘备に投降しました。赵子龙が桂阳に到着すると、赵范は門を開けて迎え入れます。
赵范は赵子龙を取り込むために赵子龙に美人の計をしかけます。婚姻話です。しかし赵子龙はそれを見抜いており引っかかりません。
柳慎に命じて赵范を牢に入れます。判決は劉備に任せることにします。
赵子龙は柳慎に軍隊を城外に駐屯させて少しの兵だけを入場させます。

柳慎はこの考えが分かりませんでした。桂阳は既に自分たちに降伏したのになぜに野営?
赵子龙は桂阳の城内に兵が居ない事、をさらに赵范府内にも兵がいない、
この降伏は胡散臭いと考えているようです。
赵范は伏兵を隠しておりました。太守の内室には赵范と耿纯が赵子龙を殺そうと計画していました。
耿纯は500の兵を持って赵子龙に投降を申し入れます。
柳慎は耿纯は信用できないと言いい、赵子龙の命令一つで耿纯をやれると言います。
耿纯は赵子龙に赵范は明日大軍が城に入ってきた時に弓で攻撃するつもりだと話します。
さらに耿纯は自分自身は貴方達(赵子龙)の仲間は誰一人として殺していないと言います。
赵子龙は耿纯を殺す理由が見つかりません。。
そして仲間に加える処理を命令します。


しかし耿纯がすぐにしっぽを表しました。
夜中耿纯はすぐに赵子龙のテントに忍び込んできましたが、赵子龙は分かっていました。
耿纯はすぐにやっつけますが、飞燕が父の敵を打ちます。

劉備は諸葛亮を正式に軍師にします。そして引き続き呉と連携をして曹操に対抗することになります。
荆襄は借りているということにして益州を取ったら返すと話しますが、周瑜はそんなことは信じられません。
そして刘备と一線して荆襄を奪い返そうと考えます。
しかし魯粛は周瑜に今劉備と戦ってはいけないと話します。そうすれば曹操の思うつぼだと。。。
さらに今主公である孫権が合淝で負けて、兵士の士気が落ちている、ここで冒険はできないと話します。