異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

中国上海市在住です。もう10年を超えました。休日は星空(天の川)撮影やポートレート撮影等、連休時はカメラを持って中国各地を旅行してます。最近は内モンゴル自治区によく行っています。

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中国時代劇・延禧攻略 Story of Yanxi Palaceの紹介あらすじ40話


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今回はフーチャー皇后がメインです。その皇后ですが、少し調べてみました。
孝贤纯皇后(1712年3月28日-1748年4月8日)
→乾隆帝の最初の嫡后,富察氏。満州の镶黄旗人(八旗の一つ)。傅恒の姉。
フーチャ氏ということは確かなようですが、名前の容音(ロンイン)はドラマで付けたのでしょうかね?チョットわかりませんでした。
富察·傅恒(约1720~1770年)。
→満州の镶黄旗人(八旗の一つ)。皇后の弟
そしてフーハンも実在した人物のようです。

40話 富察容音

永琮を失った皇后の体は日に日に衰弱していきます。
情緒が崩壊した皇后は皇帝に問いただします。
なぜ自分は礼法に従うのか、後宮の妃に対して良くする、更には彼女たちの子供を自分の子のようにしているのに、結果はこの末路である。
なぜここまで苦しみを受け入れなければいけないのかと。。。。
これを聞いた皇帝は、心では受け入れられますが、表面上、なぜなら、あなたは清の皇后であると言います。

しかし皇帝は理解していませんでした。皇后も元々皇后になりたくはありませんでした。富察容音でありたいと。。。この狂ったような感じに皇帝は耐えられず、皇后に責任を忘れるなといい去っていきます。
永琮の葬儀に対して準備をしようとしますが、緊急の知らせが入ったので、政治を優先させ、傅恒を呼びます。
傅恒は皇后を富察府に暫定的に戻してほしいと話しますが、皇帝は拒否します。皇后であるからには紫禁城から出ることはできないと。。。

尔晴はすでに皇后が子を失ったことを知りました。皇后への思いをすでに断ち切っていた彼女は皇宫に向かいます。そして寝ている皇后を見て心に中で笑います。
そしてこう話します。自分は皇帝と関係を持ち、腹の子は皇帝の子供だと。。外にいた明玉はこの事を知りません。尔晴が去ってから皇后は故意に明玉をその場から去らせます。
その後、城壁に登り、一生を振り返ります。
自由を求めたが、宮廷深くに閉じ込められ
温かい家族を求めたが、子供を作れず。。。
そしてこれはもう戻ることはできないと。。。
壁から飛び降り、これで自由になれると。。。。。。


璎珞が戻ってきた時、紫禁城には異様な空気が流れていました。
长春宫に入った時、自分を騙しているのかと思いましたが、これは事実です。白い布を被せられた皇后。。。。
璎珞は受け入れられない程の悲しみを受け、泣き出します。
しばらくして皇帝が入ってきます。
皇帝は明玉に皇后の化粧をするように命じます。しかし璎珞は虚栄のまま離れるのは望んでないと話だし、皇帝を怒らせます。
皇帝も皇后の死を受け入れられないようです。そしてこのような不甲斐ない結果も。。。。なぜなら彼女は皇后だからです。
そう話すと璎珞は笑わせるなと。。反抗しだします。皇后は永琮を死をかけて産んだのに、不甲斐ない結果とは何事だと。
皇帝は怒り、璎珞に皇后と殉死するように命令します。
璎珞は反抗せず、そのまま受け入れます。

明玉は慌てて皇帝に助けを求めますが、覆りません。

璎珞が切腹する直前で李玉が止めます。。。皇后の遺書が見つかり皇帝が璎珞を許したようです。
璎珞は圆明园で皇后の墓守をすることになります。
皇帝は遺書に自分の事が全く書かれていなかったことに落ち込みます。
璎珞が圆明园に到着すると、なぜか袁春望もそこにいました。紫禁城のすべての仕事を捨てて璎珞に付き合うつもりです。

感想

無理して作った子供にもかかわらず、亡くしてしまったことで皇后はなにか糸が切れてしまったかのようです。
皇后が自害という、これまでにない展開でしたが、皇后が亡くなったことでこれで長春宫辺は終了です。