異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

中国上海市在住です。もう10年を超えました。休日は星空(天の川)撮影やポートレート撮影等、連休時はカメラを持って中国各地を旅行してます。最近は内モンゴル自治区によく行っています。

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中国明時代の時代劇「女医·明妃傳」 4話


女医·明妃传の放送は东方卫视でやっています。
見逃した人は、
乐视网(http://letv.com),腾讯视频(http://v.qq.com/)、爱奇艺(iQIYI.COM)(http://www.iqiyi.com/)などで見ることができます。


このドラマが始まったあと画面いっぱいに
ドラマ内の医療方法は絶対にまねをしないようにと
忠告が出ます。絶対まねをしなでください。


4話 允贤は濡れ衣で牢屋に入れられる

連れていかれる祁钰、汪美麟は心配でなりません。
娘に汪国公は大丈夫だと言って、太后がかんがえているであろう計画を話します。
汪美麟はそれではたくさん平民が死ぬといいますが、
汪国公はお「前は皇后になりたいのかそれとも菩薩になりたいのか」と話し、
上に立つ者は非情さが必要だと言い説教します。


ずっと祁钰の消息を探っている曹吉祥、永庆庵で見はっていましたが、
祁钰は現れませんでした。


徐侍郎は杭纲と両家の縁組について話しています。
紫苏は大事件だと允贤に話しますが、允贤はあるわけないとたかを括っていたようです。
しかし話は本当でした、允贤は話を断り徐侍郎を怒らせてしまいます。
そしてまた杭纲は怒ります。そしてまた鞭を探しだします。
允贤は自分は間違っていたと謝りますが、
自分の婚姻はおばあさんが決めると話ししていたのに、おばあさんがいない間に父が勝手に決めるのは
父上も間違いだとはなします。
杭纲は允贤の言葉を聞いて今からお前は私の子供ではないと言って好きにしろと話します。


王夫人が允贤の七白膏の話を聞いて于夫人のところにやってきたようです。
允贤は王夫人の顔を見て使わないほうが良いと話しだします。
何ともないという王夫人、しかし允贤は口の匂いから察します。
そして王夫人の体にはいろいろな病の症状があると言い、
医者に行ったほうが良いと話します。
自分は何ともないと話す王夫人は怒って帰って行ってしまいます。
于夫人は允贤が婚姻の事を抵抗したことに対して劝导(忠告する)します。
結婚相手の徐公子は徐夫人の血縁の息子ではないようです。
徐夫人がやってきました。允贤は徐夫人に謝ります。
徐夫人はあまり気にしていないようです。
允贤は徐夫人の様子を見て医者に行ったほうが良いと言いますが、
徐夫人は病状が分かるなら、処方箋を書いてくれと言います。
允贤は于夫人におばあさんから処方箋を書いてはいけないと言われていることを話しますが、
スープの名前を書くだけだと言い、処方箋には当たらないと話します。
そしてスープの名前を書いて渡します。


夜中凄い剣幕で杭府に徐侍郎がやってきます。
徐夫人が亡くなってしまったようです。
徐侍郎は允贤の書いたスープを飲んで死んだと言います。
信じられない允贤。。
徐侍郎は明日の朝すぐに顺天府に行って告訴すると言います。
允贤は明日顺天府に行って説明すると言い、
おばあさんと父には絶対迷惑をかけないと話します。


威武、威武、威武
(いつも思いますがこれ何なんでしょうかね?)


顺天府で裁判が行われます。
徐侍郎は夫人は允贤のスープで死んだと言いますが、
允贤はそのスープで死ぬことはないと話します。
判断できない裁判官は専門家を呼ぶことにして一旦審議を止めます。
その間允贤は牢獄に入ることになります。
杭老夫人は女性は明の決まりにより死刑囚出ない限り牢獄に入る必要はないはずと言いますが、
聞き入れられません。


太医院では誰が法廷審理にでるかを話ししています。
お茶を飲む偉そうな二人、そのうちの一人程十三は手にあざがあります。。。
だれかかって出る者はいないかと話す仲、
程十三の甥で、刘平安の弟子である程村霞が名乗り出ます。
この若者は南京太医院から今戻ってきたようです。
またこの若者は西洋風の帽子を被っています。
程十三は程村霞をお披露目する良い機会だと考え法廷審理に出ろと話をします。


允贤は牢獄に入りました。杭老夫人と于夫人が賄賂を渡して、牢獄まで入ってきて允贤を見にきます。
杭老夫人と于夫人が帰った後、徐侍郎が牢屋の番兵に何かを話してお金を渡します。。。。

感想

王振は皇帝にとても忠実ですね。
皇帝が弟を傷つけるなと話すと、それを守ります。
さらに狙いを皇后にしたようです。
つまりは今の皇帝にいてもらわないと困ると言う事なのですが。。。


ドラマを見ていていつも思うのですが、漢方薬を飲んでそんなに簡単に死ぬものなのでしょうかね??
それとも昔の薬は相当やばかったのでしょうか?
さすがに明の時代(清の前、日本では1440年前後は室町幕府の時代)
ということで服装も少しだけ近代的になっていますね。
「威武」は偉い人が現れる合図のようです。静にしなさいということのようです。