異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

中国上海市在住です。もう10年を超えました。休日は星空(天の川)撮影やポートレート撮影等、連休時はカメラを持って中国各地を旅行してます。最近は内モンゴル自治区によく行っています。

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中国の戦国時代ドラマ芈月傳 76話あらすじ 


ドラマも佳境に入ってきました。話は国内から外国に向いています。
ドラマの中でそれぞれ何話に退場するかを上げてみました。
嬴驷54集、葵姑56集、赢荡60集、芈茵63集、赢稷(子供)67集、魏琰71集、赢华72集、芈姝72集

芈月传(mǐ yuè zhuàn)は乐视网(http://letv.com),腾讯视频(http://v.qq.com/)で見ることができます。

芈月传 76話

楚国と戦争を始めるとなれ师出有名(理由)が必要です。
さもなければ秦国は信用されないと言います。
しかし庸莴は理由ならきっと探せると話します。

酒馆里で誰かが楚国の人質を陥れようとしました。
太子横は付き人に惑わされ、すぐに秦国から逃げ出します。
庸莴は太后に太子横が咸阳で人殺しをして逃げたと報告します。
誰であろうと人質が逃げだすのは大罪です。
太后は太子横はずっと谨小慎微(細かいことを気にかけすぎてびくびくする)な奴だと話します。
そしてそれを利用して庸大人が故意にやったのでしょうと話します。
庸大人は笑って言います。もし私がやるらなこんな卑怯な布石は打たないと話します。


庸莴は言います。この道は黄歇を傷つけることになると話します。
庸莴はさらに大后に安心しろと言います。
黄歇は奇才だと言い、すでに残る用に手配したと話します。



芈月は家臣に向かって楚国を攻めることを宣言します。
秦国が派遣した义渠君に鍛えられた騎兵たちは破竹の勢いで楚国を攻めていきます。
これを機に、王后郑袖は楚王に会い、太子横が引き起こしたことだとして皇太子を罰するべきだと言います。
しかし楚怀王は息子は罪を犯したが、それでもやはり自分の息子だと言います。そしてこの局面を受け入れます。


秦王と楚怀王は話をしてこの誤解を解くことにします。
郑袖はまたしても太子横を失脚させることに失敗しました。
靳尚を責めます。元々の計画は太子横が秦国で捕まる予定だったようです。
それが無事返ってきたようです。
靳尚はもう一度太子横を別の国に人質として送り、
同じことをすることを勧めます。
そうすれば今度は大王も皇太子を廃するだろうと言います。


ある日黄歇は太后に面会します。
太后は座るように言いますが、黄歇は座らないと言います。
黄歇は太后に質問します。秦楚の盟約の話です。
盟約を行うのになぜ武关で行うのだと話します。
武关は秦国の領地です。楚王はこのことを予測できないと言います。
さらにこのように好き勝手に秦国の騎馬が楚国を踏みつけるようでは
貴方はどうやって汨罗江に帰るのだ?そして楚国の列祖列宗にどう顔向けするのだと話します。
芈月は黄歇に土を見せます。
この土は楚国を出る時に楚国から持ってきた土だと言い、私はずっと母国を忘れていないと話します。
それを聞いて黄歇は帰っていきます。


武关での盟約が行われました。
秦王赢稷は楚怀王を取り押さえて咸阳まで連れ帰ってきたようです。


白起は芈月に計画を話します。
楚国は君主がいない状態であるので今のうちに楚国を攻めようというものです。
芈月はそれを聞いてこれは良い機会だ考えます。
しばらくしてすぐに庸莴と司马错大将军がやってきて楚国を攻めようと言います。
芈月もすでにそのつもりでした。
庸莴は芈月の選択に先王の選択はやはり間違っていなかったと言います。


黄歇は最後に芈月に会います。
芈月は天下を統一すると話します。そして黄歇に残ってほしいと話します。
しかし黄歇は楚国は私の命だと言います。
黄歇はそこまで将来を見ていません
黄歇は芈月にもう貴方は月儿ではない。秦国の太后だと言います。
芈月は最後まで黄歇を引き留めますが、最後は二人涙を流して別れます。

感想

黄歇は愛国心にこだわりすぎだと思いますが、
外国に嫁いだ芈月とは話が合わなかったようです。
統一という夢を持つ芈月。国を守ろうとする黄歇、
ここで別れることになります。