政権を取ったら取ったで今度はまたいろんな問題が出てきますね。
太后となった芈月は一人称として朕を使っています。
これは王と区別するためだと思われますが、はたして本当だったのでしょうかね?
この時代皇帝と言う人は存在せず各国の長は王と名乗っています。
さらに一人称は「寡人」(グアレン)を使っています。
朕は後の皇帝の一人称ですね。朕も宣太后が始めたことなのでしょうか?
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芈月传 68話
芈月は初朝廷に上がります。豪華な服を着て、重いと言いますが、
侍女たちはこの服は高級だから重いのは当たり前だと話します。
芈月の言った重いは責任の重さ、立場の重さです。
嬴稷を補佐して朝廷に上がります。
甘茂は芈月は惠后と呼びますが、
芈月は惠后の名はいやだと言います。
朝廷の中で家臣たちは芈月に尊号をつけます。
“太后”とつけられたその尊号は今後中国大陸の皇帝の母が名乗る名前となります。
芈月は一番最初なので後に宣太后と呼ばれるようです。
ここから芈月の41年にも及ぶの政治生活がはじまります。
秦国は国内外に問題を抱えています。
芈月と樗里疾らは問題解決の討論をします。
先に諸外国(五国)に対応して、その後公子の内乱に当たるようにします。
芈姝は咸阳から逃げ出しました。どうやら甘茂の手引きのようです。
嬴华を頼って雍城に行ったようです。
二人は一時手を組むことになります。
芈姝は嬴华に良い策はないかと話します。
嬴华は新しい法律を廃止して古い旧族が有利になる古い法律に戻し、この人たちを取り込むと話します。
そして遗诏は偽物だという噂を流すようにするといいます。
芈月は唐夫人、卫良人らを呼んでいました。卫良人は息子嬴池とともに朝廷に戻ると答えます。
唐夫人は公子雍とその母を朝廷に戻るように説得すると話をします。
嬴华は惠后の命により複数の公子と共に咸阳に迫ってきているようです。
魏冉達は函谷关まで行っているので、秦には人がいません。
芈月は义渠王に迎え討てと命令します。
樗里疾の命により各国の使者が咸阳に交渉に来ます。
家臣たちは事が大きすぎてこの交渉に口を出したくないようです。
张仪が亡くなってしまった今、饒舌な人間はいません。
仕方ないので芈月は自ら話をすることにします。