異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

中国上海市在住です。もう10年を超えました。休日は星空(天の川)撮影やポートレート撮影等、連休時はカメラを持って中国各地を旅行してます。最近は内モンゴル自治区によく行っています。

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武神趙子龍 三国志の英雄趙雲のドラマ(26)


三国時代のドラマ、武神赵子龙。
私は爱奇艺(http://www.iqiyi.com/)で見てみることにします。
公孙瓒はなんかとんでもないやつですね。。。


26話

董卓は袁绍と公孙瓒が磐河と界桥一帯で戦っている知らせを聞きます。
戦いは勝ったり負けたりで一か月以上たちますが、結果は出ていないようです。
手下は停戦協定をして、二人に恩を売ってはどうかと董卓に提案します。
同時期夏侯杰のところにも袁绍と公孙瓒の戦いの知らせが届いていました。
夏侯杰は赵子龙という名前も知らないものが袁绍軍の文丑と互角だったという話を不思議に思います。
耿纯は負けず嫌いで赵子龙が、文丑と引き分け麹义に勝ったのは百鸟朝凤(槍)のおかげだと言います。
夏侯杰は百鸟朝凤枪の話を聞いてなぜか興奮します。
赵子龙はどうして乐渊の槍を持っているのか。。。
夏侯杰は昔のことを思い出し「乐毅百战术」を手にするために师傅を殺したとおもっていましたが。。。
师傅はこの兵法書を自分に渡さないため兵法書と百鸟朝凤枪を持って崖に落ちた。。
しかし今、赵子龙はどうやって槍を手に入れた???
夏侯杰は突然赵子龙が常山真定の人だとおもいだします。
また姓は赵。。まさか赵子龙は赵安の息子なのか??
夏侯杰はすぐに轻衣を呼びます。そして旁敲侧击(páng qiāo cè jī)遠まわしに赵子龙のことを聞きます。
そして轻衣に幽州の宝月を見に行くように言います。
そして赵子龙を見かけたら、自分の軍に加わらないかと勧誘して来いと言います。絶対に損はしないと。。


公孙瓒と袁绍の戦いは今なお続いています。
公孙瓒は磐河水をあふれさせ冀州を水浸しにしようと考えます。
赵子龙は百姓のためにそれを阻止しようとします。
公孙瓒は赵子龙に対して非常に不満です。


赵子龙は正式に刘备、关羽、张飞の三兄弟に面会します。
刘备は「不必多礼」と言い、赵子龙を丁重にもてなしますが、
张飞は公孙瓒との話しを持ち出し、公孙瓒の文句を言います。
刘备は赵子龙と柳慎を呼び話をします。
刘备は赵子龙のことをだいぶ前から知っていたようです。
今日実際に見て英雄だと分かったと言います。
张飞は文丑でも勝てなかった赵子龙と腕比べをしたくてたまらないようです。


刘备は公孙瓒に袁绍が兵を引いた時に攻めるべきだと提案します。
公孙瓒は今、天子(皇帝)から袁绍と和睦の話をもらったと言います。
刘备はこれは董卓の意見だと言いますが、公孙瓒は董卓違憲かどうかは関係ないと、
天子(皇帝)の意見に従うと。。。言いだします。


元々刘备が幽州に来たのは公孙瓒との共闘でしたが、公孙瓒は董卓に服従する意志を見せたので、
道が違うとして刘备は幽州を離れることにします。そして赵子龙に自分と一緒に来ないかと話をします。


宝月は公孙瓒に掛け合い、赵子龙に活躍の機会を作ることに成功します。
野営を奇襲して敵将軍の首を取って戻ると言うものです。
宝月は子龙はこの機会を確実なものにしようと、自ら赵子龙に扮して、袁绍陣営の前に行き挑発します。
袁軍の将軍たちは赵子龙の英雄っぷりを知っているので誰も出ていきません。。。
文丑が出ていきます。数回槍をかわして宝月の兜が落ち、女性だとばれます。
文丑は宝月の手下に赵子龙を日が落ちる前に呼んで来いと話します。


赵子龙と文丑は林の中で戦います。やはり文丑は不利になっていきます。
戦いは赵子龙の勝利でした。
宝月はずっと子龙が父に重用されるようになるために考えていまが、
ところが公孙瓒はこの事の責任を全て赵子龙にぶつけてきます。